風情のある鳥籠の中

脳みそのなかからかろうじて取り出したものたち

誰かのなんとなく死にたいことの理由

口には出さなくてもなんとなく死にたい時期がある人はいると思うけれど、それをわざわざ人に言って聞かせる人はそんなにいないような気がする。

でも、以前行われたあるイラストレーターの講演会で僕はそれを耳にした。
有名な音楽アーティストのイメージイラストを手がける彼が、学生時代からイラストレーターになるまでの話などを聞き、恙無く進行したあと、最後に行われた質問コーナーで。
手を挙げたのは大学生と思しき若い女性だった。

「最近よくわからないけれど死にたいと思うんです。何故かわからないけど、ふっと死にたくなってしまいます。理由がわからないから先生とか周りの人にとにかく聞いてみているんです。○○さんはそういうことはありましたか?」

だいたいそんな感じの質問だった。

ぼくはまずその時、共感性の羞恥を覚えた。こいつ何言ってるんだろう?と。聞いているこちらが恥ずかしくなってしまった。
そんなもん百人以上の聴衆がいる中、初対面のイラストレーターに聞いてどうするんだ、と。

イラストレーターの答えはシンプルだった。

「えーと、あなたは恋人はいますか?
いないなら、恋人を作ればいいんじゃないでしょうか。
僕も彼女ができるまでなんとなく死にたいと思ってたけど、出来てからはそんなことはなくなった。
生きる理由なんて探しても結局ないんだから、死ぬと悲しんでくれる人間が、死なない理由が必要なんだと思います。
人生ってそういうものではないでしょうか」

この返し方に僕はなるほど、と思った。

彼は別に恋愛至上を唱えたかったわけではないと思う。

けれどまあはっきり言って、僕から見て彼女は痛々しかった。
死にたいだとか、それが何故だとか、自分の根源的な存在理由を、大した付き合いもない大人たちに求めてしまうほどには、幼くておぼこいように見えた。
大学での講演会だったので、見た目的にもおそらく成人前後の女性だったけれど…。

しかも今は哲学の講義とかじゃなくて、人気イラストレーターの講演会だ。

(誰かにここに居ていいよ、どうか生きていて、と言って欲しくても、それはある程度知り合った間柄で打ち明けるもので、他人からすれば正直知らねえよ、としか思えない。会場はやや気まずくなったり、ハ、と乾いた苦笑を浮かべる大人がいたりした。)

さて、回答について考える。
恋人がいるということは、その多寡は人によるけれど、物理的に近くなったり心の隙間を埋めあったり頼りになったり頼られたりするような、濃い関係性の塊を持つことになる。

そして、自分が死ぬ時恋人はどう思うだろうという想像力を持つことにもなる。
(ここで相手は全く悲しまないと思うのなら、社会通念としては恋人関係とは言えないだろう)

要は、そういう深い関係性ややりとりの経験、それに基づく想像力、安心感、無条件の信頼関係、自分の居場所、などなどを得るための一番手っ取り早く総合的な手段が恋人関係を得るということなのだろう。
それに恋人とは良識が許して互いが望めば性的な繋がりを持つこともできるし、それは一番のコミュニケーションにもなる。
家族仲が良好ならそれでもいいだろうけれど、親はたいてい自分より早く死ぬ。

(恋人が絶対欲しくないとか、いなくても平気で、別の理由で死にたい人もいるだろうけれど、その上で理由が全くわからないならそれも問題だと思う。
自己認識は大事。貧困や社会地位や人間関係や思考の癖や健康問題は容易に人を蝕むからね。脱線した)

つまりまとめると、彼女は恋人(か、似た役割のもの=生きるよすがや居場所)を求めているという事実に気づけずに彷徨っていた可能性がある、ということ。

死にたいだとかを不特定多数の人に触れ回ってしまうほどには、無邪気というか、経験と想像力不足で幼い面があるということ。

そこを言外に指摘していたイラストレーターは大人だなーと思った。イラストレーターというか、ひとりの成人男性としてまともだなあと思った。

ちなみに彼女は回答に対して早口でありがとうございました、というだけだった。
色々気づけたのか納得がいかないのかまでは知らない。

2年前の出来事だけれど、このことが今も印象に残っているので文章にしてみた。


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近況

ちなみに自分は、ちかごろ幸運にも、自分にとって素晴らしいと思える人と付き合うことになった。今も様々な形で助けられ満たされている。
しかし、死にたい気持ちそのものは消えてくれず変わらないまま残り、希死念慮は恋人ができれば消えるかもしれない、という淡い期待は消えた。

それは単に理由が恋人がいない飢餓感だけではなかったということだろう。
だいたいの検討もついているし、これからも動ける範囲で改善を求めて足掻くだろう。

もし自分たった一人で、心から理解を示そうとしてくれたり気にかけてくれる人も誰もいない状況だったら、自分は今よりもっとひどい状況になっていたかもしれないと思っている。
現実を誤認して、自己認識もさらに捻じ曲げていたかもしれない。臆病と怠惰が招く非選択的な孤独は恐ろしいものだ。

そうならないためにも、生きがいや、他愛もない話が出来る友人や、定期的に通える居場所や、ネット上の関係や、親友や恋人など、外の世界に繋がれるものがいくつかあったほうがいい。

それが、様々な思慮や自律心や経験を少なからずもたらしてくれるだろうから。

まとまりが悪いけど、大体言いたいことはそれくらいです。
依存先は増やそうという話(増やすほど健全化する)

あ、写真は正月になんとなくきれいで撮ったものです 。
なんとなく貼ってみました。
ではまたいつか。

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